無害のモニュメント2

強迫性障害(たぶん)、成功体験欠如、eスポーツ、とはいえ生活は続く

強迫性障害や不安障害のような不安感を目標設定で軽減できる

という説がある。俺の中大学の俺教授がそう言っている。

しくみは、目標設定をすることで問題のすり替えを意図的に起こすということだ。というか強迫性障害ってのが、「現実的対処と適当な妥協」をするべきところが「絶対に気になる」という病的な気持ちにすり替わっているんだから、それをもとに戻してやるということ。

目標という外部記憶のハコのなかにすべて突っ込んでしまい、実生活を送る中での「脅迫的気になり」を「目標設定に照らしてOKかどうか」の二値的な判断にする。

ただし、毎度のように書くのだけど、俺の強迫性生姜いは「思考に対しての正当性評価をしようとする思考が止まらない」といったものであり、ガス栓が閉まってるかどうかとかではない。

 

「正当性評価」などというものはあとですればいい、目標に対して突き進み、あとから確認すればいい。めっちゃ当たり前の話だ。

今さきほどまで、俺は「動き始めようとしてもその行為が合ってるかどうか」に気になりが発生していて、動けなかった。「あってるかどうかより動き始めろ、雑に動け」ってのはわかってる。記憶としてはそれが最善択ではあるが、経験というほどは信頼できてないようだ。なので「なんで動けないんだよ!!」と机を殴ったりする結果に終わる。

やはりひっっじょーーーに単純な話で、「あってるかをきにせずに動き出す」ためには、「きょう一日」や「ひと月」を通した目標を立てて、期限が過ぎてから評価すればいい。

動きながら判断ができればいいのだけど、不器用なので、「動きを止めて悩みこむ」というだけになりがちだ。
ADHDがこういうところで顔を出してきているような気もする。「適度に考えつつも、脳のリソースは主に動くことに集中させる」などということができない。たいてい考え込む方だけになってしまう。よって、動いてる間は「合ってるかどうか」を無視できる仕組みにしておくといい。目標を立てるということはこの仕組みとしてフィットする。

 

割と有益な数時間だった。

「なんかつらいから動けない」→「考えずに動きたいのだが俺の脳では厳しい」→「考えないための仕組みをつくれ」。