無害のモニュメント2

強迫性障害(たぶん)、成功体験欠如、eスポーツ、とはいえ生活は続く

音楽が鳴っているような生活

夏休み企画 2018/08/09 (4日目)

    • できてない、いまからやる
  • プログラミング/web
  • ギター/DTM
    • さわってねえ
  • 筋トレ
    • やった。軽めからいく
  • スマブラ/Eスポーツ
    • 動画を撮った。これから編集なり

日記

記事タイトルは、ずっとイヤホンをしておくとかの話ではない。

きょう、薬を飲まないと死ぬ自分に嫌気が差し、俺は何の目的で生きてるのかとか考えてたときに、今の俺の生活は音楽が鳴っていないなーと思った。無音で、無風だ。

この場合の音楽というのは「生活自体が意義に満ちている」とか「意義はなくても大いなる無駄と楽しみに包まれている」とかの表現だ。だから、「絵になる生活」という表現でもほとんど同じことが伝わると思う。

つまり俺の生活、堕落するにしても漫画にするほどじゃないし、楽しむにしてもアニメになるほどじゃない。だけど、そういうパッケージの作品のような、劇伴の音楽が脳内で鳴っているような生き方をしている人は確かに存在する。俺は一回それにチャレンジしたい。

たとえば、一日絵をやりまくったとして、実はそれだけでオッケー。成果物がなくたって、「一日やりまくった」という行為はなんとなくエピソードになるじゃないか。つまり俺は「エピソード」とか「話のネタ」にまみれた生活をしたいのだ。

俺は、精神を安定させたいと思っているが、やっていることとしては寝ているだけで、だんだん不安になってきた。寝るのは最善に近い。無風状態でも、やたら考えてマイナスになるよりはいい。だけど、「プラスになるようなことをして結果マイナス」のようなチャレンジをしていかないと、精神もまた「プラマイゼロ」になり、それって生きてる価値のない人間じゃないか。一応言っておくけど、暇を愛する人を否定したり、無感動はゴミと決めつけてるわけじゃなく、俺自身の在りたい形ではないということだ。

この不安というか焦っている感覚は、簡単な話、創作をすることで解決できる。要するにエモかったりとか、能動的に疲れたり楽しんだりつらくなったりしたいのだ。無感動は嫌だ。

筋トレとかやっててもあくまで「サブゲーム」と思っていて、精神がグラグラと揺れてくれない。興味のあることを一心不乱にやらなければならない。寝ていても感動するわけがない。寝るのは、あくまで動いた後がいい。

「価値のある人間になりたい」というのも間違ってはいないが、もっと拡張して「自己満足ができるようになりたい」。そうならないと、本人にとって生きてる意味なくね?ということだ。せめて満足して死にたい。

そして自己満足のためには「あいまいにつらくなる」とかよりも「あいまいなときにこそ動いて脳内物質を出し、あいまいなつらさを吹き飛ばす」ほうがいいんだ。それによって「あいまい=つらい」ではなくて「あいまい=動けるけどだるい」程度に認知を改善したい。

反省

意志に反して無感動な日々であったことは上に書いた。